夏は漠北で暮らし、冬になると漠南に移動し、また夏になると漠北に帰る。というように移動しながら狩猟・牧畜をして生活をしていた。中国のように城郭をもたず、氈張(穹盧)に住み、移動の際にはそれを折りたたみ、家財道具とともに轀車(おんしゃ 荷車、キャンピングカー)に載せて運搬する。入口は必ず太陽の昇る東側に向け、東面の座を上座とした。食物は酪(らく 乳製品)と肉を常食とし、穀物も食べていた。髪型は辮髪で、服装は錦・革製の短上衣、口の窄いズボン、深い靴、竜袍(ロンパオ)のような外套を身につけていた。
毎年秋には可汗以下王侯酋長が集い、敦煌・張掖の北にて国会を開催し、祭祀・議会を行った。彼らは天・鬼神・天上界の生活を信じ、シャーマンは医術呪術を行い、祈祷・斎潔を掌り、神・天上界との媒介をなし、風雪等の自然現象を左右し得るものと信じられた。このようにシャーマニズムを信奉する一方、この当時仏教も入ってきており、可汗のひとり、波羅門という名は仏教の影響を受けているものと思われる。また、他のアルタイ諸民族同様、柔然も狼をトーテム獣としており、柔然はそれを隠語として「虫」と呼んでいた。
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可汗位は、郁久閭氏の世襲で、その婚族には匈奴のように特定の一族がいたのかは不明であるが、突厥酋帥の土門が柔然可汗の阿那懐に阿那懐の娘と結婚することを申し出たのに対し、突厥が柔然の鍛鉄奴隷であったため断られた。というように結婚における氏族の尊卑が重視された。また、匈奴・烏桓・鮮卑同様、夫に先立たれた妻は、夫の兄弟の妻となる風習(レヴィレイト婚)があった。